<お知らせ>
インターネット・ミュージアム<日本のなかのロシア>は、2021年4月1日オープンしたものであり、第一章、第十一章の案内記述は当時の情勢において書かれたものです。その後、2022年7月の今日の情勢には大きな変化がありますが、すべての記述は2021年4月当時の見解によるものであることをご承知おきくださいますようにご案内いたします。 2022年7月7日 インターネット・ミュージアム<日本のなかのロシア>
副館長 長塚英雄
ミュージアムへようこそ
「ヤポーニヤ&ロシア(ロシア文化フェスティバル・テーマソング)」
作曲=アンゲリーナ・ロマネンコ
編曲=レフ・ロストフスキー
作詞、歌=リーザ・ベス
訳詩=児島宏子
ナレーション=いちのへ友里
近年における日ロ間の政治・経済・文化の交流は着実に前進してきました。とくに、日ロ両国市民の交流と友情は大きく広がっています。最初の外交関係の樹立―1855年の日露和親条約締結から166年が経過しました。江戸時代のロシアへの日本漂流民の接触からかぞえても300年あまりにしかすぎませんが、歴史上、日露両国民の交流は日本の社会と文化にさまざまな影響を与えてきました。なかでも、明治・大正時代のロシア文学の受容、戦後のロシア民謡ブーム、現代ロシアの音楽芸術は、日本の文化形成に大きな影響を与えてきました。一方、世界で最初の日本語教育を始めたのはロシアです。ピョートル1世の命で、ペテルブルグにおいて316年前の1705年のことになります。日本全国にはロシアに関連する歴史上の史跡やモニュメント、顕彰碑・記念碑・墓碑などがたくさんあります。きっと皆様の住んでいる地域や街にも知られざる歴史のエピソードが埋もれているにちがいありません。さあ、日本のなかのロシア探求に出発です。
インターネット・ミュージアム
「日本のなかのロシア」館長のメッセージ
ミュージアムでお会いしましょう!
I・V・ロマネンコ
(ロ日協会会長)
親愛なる友人の皆さん!
非常に魅力的で現代的なプロジェクトであるインターネットミュージアム「日本のなかのロシア」の設立を、心の底から皆さんにお祝い申し上げます。これは両国の国家間関係樹立165周年およびロシア人と日本人のファーストコンタクト300周年に合致します。このプロジェクトは、地理的にみると北海道から沖縄までの日本全土をカバーしています。
ミュージアムの展示物となっているのは、ロ日関係史にさまざまに関係している日本各地の歴史的・記念的な場所です。ミュージアムの設立者たちは、展示物としてそのような場所を164か所紹介しています。しかしながら、我々も皆さんも理解している通り、現実は常に動いていくものです。ロ日の友好関係、政治や経済、文化、スポーツ、医療など様々な分野における交流が発展するにつれ、「ミュージアムの展示物」は益々増えていくことでしょう。
インターネットミュージアム「日本のなかのロシア」の設立は、私が長年にわたり友情、協力、共同活動、そして互いに敬意を持ち続けてきた長塚英雄氏をはじめとする、熱心な方々による大仕事です。彼らによる、日本におけるロシアにゆかりのある場所、我々両国に共通する歴史のユニークな資料の収集という膨大な作業に対し、深い感謝を表したいと存じます。
私が理解しているところでは、インターネットミュージアムの設立者たちには、新しい展示として「日本の音楽におけるロシア」、「日本演劇におけるロシア」、「日本バレエ芸術におけるロシア」などを設けるという壮大なプランがあるようです。これは、このプロジェクトが常に発展していくということや、インターネットミュージアム「日本のなかのロシア」には大きくて魅力的な未来があるということを物語っています。
最後になりましたが、バーチャルミュージアムの設立者の方々や訪問者の方々に、平和やご健康、ご幸福やご繁栄をお祈りしたいと存じます!
インターネットミュージアム「日本のなかのロシア」の「展示室」でお会いしましょう。
当ミュージアム館長イーゴリ・ウラジーミロヴィチ・ロマネンコ氏の逝去を悼む
インターネットミュージアム“日本のなかのロシア”初代館長、イーゴリ・ウラジ―ミロヴィチ・ロマネンコ氏は2022年6月10日に死去、74歳であった。
I・V・ロマネンコ氏はソ連邦時代の1949年1月23日にウクライナ・ソビエト社会主義共和国クリミア州のセヴァストーポリ市で生まれた。
1967年ソ連海軍レニングラード・ナヒーモフ校卒業、1967年から1970年、北海軍艦で軍務。
1976年ソ連外務省モスクワ国際関係大学を卒業、日本専攻。
ソ連邦ゴステレラジオ日本向け放送部、またソ連共産党中央委員会附属社会学アカデミーでデスクとして勤務。ソ連外務省外交アカデミー大学院を修了し、1987年より1995年に駐日ソ連-ロシア大使館書記官勤務であった。ソ連邦対外友好文化交流団体連合会副会長、ロシア連邦政府附属ロシア国際協力庁ロシアセンター副会長でもあった。日本の友好親善団体、文化団体や地方団体との仕事の責任者であった。
1995年より全ロシア社会組織ロ日協会理事長、2004年より同協会会長。2005年に、毎年開催のロシア文化フェスティバル IN JAPANロシア組織委員会副委員長、ロ日政府間文化委員会委員となった。
駐日大使館勤務のときに、ソ連邦の崩壊とロシア連邦の始まりというドラマチックな瞬間を迎えた。ソ連邦崩壊後、I・V・ロマネンコは文化・学術・教育分野でのロシアと日本との協力関係維持・発展のために尽力した。
I・V・ロマネンコが生前にロ日関係発展のために行ったことをすべて網羅するのは困難である。
―大使館で勤務していた時期に、長崎市で開催された国際博覧会「旅博90」のロシアによる展示に直接参加し、そこで、エルミタージュ美術館、クンストカーメラやその他のロシアの博物館に所蔵されていた、明治天皇からニコライ皇太子への贈り物がはじめて一般に公開された。
―ソ連邦対外友好文化交流団体連合会の関係でソ連文化フェスティバルの組織に参加したが、それにはM・S・ゴルバチョフ氏の国家公式訪問が委託されていた。また、イスクラ産業株式会社により東京で開催された、ロシア人企業家向け日本的マネージメント研修の組織にも尽力した(研修には約1000名が参加)。
―ロ日協会では日本ユーラシア協会と合同で、1992年から2005年にロシアと日本で交互に行われた―ウラジオストク&ハバロフスク(1992年)、金沢&神戸(1993年)、クラスノヤルスク&イルクーツク(1995年)、札幌(1997年)、ノヴォシビルスク(1999年)、東京(2001年)、モスクワ&ヤロスラヴリ(2003年)、名古屋(2005年)―、地域レベルでの友好協会発展を目的とした8回の日ロフォーラムの成功に貢献した。
―2003年、日本ユーラシア協会と合同で、17-19世紀のロシアへの漂流民をテーマにしたロシアと日本の歴史研究家による最初のシンポジウムを、モスクワのロシア大統領府附属国務アカデミーで開催した。
―日本人留学生のロシアへの招聘に積極的に尽力した。ロ日協会関係で、1996年から2004年にかけ、国費で100名以上の日本人留学生を受け入れた。
―国立東洋博物館に保管されていた首藤定の、浮世絵と日本画約120点が半世紀ぶりに里帰りすることになり、その日本芸術展の組織に直接参加した。それは映画会社である東映により、1999年から2000年にかけ、日本の横浜のそごう美術館など12都市で「ロシア国立東洋美術館首藤コレクション幻の日本名品展」として開催された。また、国立エルミタージュ美術館の所蔵品による展示会も行われた。
―ロ日協会およびロ日協会の支部は、I・V・ロマネンコの主導で、ロシア連邦における日本文化フェスティバルの実施に最も積極的に貢献した。又、ロシア各地で行われた日本文化週間に尽力した。I・V・ロマネンコは大規模なロシア文化フェスティバルの日本における実施において、主唱者のひとりであった。
―2006年から2022年、ロシア外務省、ロシア文化省、ロシア外務省附属ロシア協力庁やその他の国家機構と協力し、毎年日本で開催されているロシア文化フェスティバルの実施にロシア側組織委員会副委員長として、S・ナルイシキン委員長、M・シュビトコイ委員長を補佐し、大きく貢献した。
―インターネット・ミュージアム「日本のなかのロシア」は、2021年4月に開設されたが初代館長に就任し日本列島におけるロシア関連史跡を広く日本国民に紹介した。
著・共著は、『ドラマチック・ロシアin japan』(生活ジャーナル刊、2010年=「ロシアなかの日本」)、『日露異色の群像30―文化・相互理解を尽くした人々』(東洋書店刊、2014年=「ヴィターリー・グザーノフ(1928―2006)―グザーノフの生涯と歴史分野での日露交流」がある。
約40年にわたる日ロ関係・交流への尽力と16年間の日本におけるロシア文化フェスティバルの功績を偲び、心から哀悼の意を表します。(資料提供=ロ日協会)
インターネット・ミュージアム日本なかのロシア副館長 長塚英雄